けっして風化してはならない1943(昭和18)10月21日、明治神宮外苑競技場における学徒出陣式で、首相・東条英機に対し答辞を述べ、腹の底より絶叫をもって読みあげた江橋慎四郎は、この式典を企画した東条英機とともに学徒出陣式の主役を演じた。江橋慎四郎は、自ら一夜にして書き上げた(本人談)内容の答辞。それは全国の学生に呼びかける内容で、学生はいさぎよく戦陣に出兵し命を顧みず天皇陛下のために死ぬ、そのような内容をアジテーションしたのである。それは日本におけるエリート階級であった学生代表として声明文書としての役割をも果たした。その経緯をいま考えるに、江橋慎四郎があの戦争の犠牲者ではなく、一部で批判されているように主役を演じ積極的な戦争協力者であり、しかも敗戦までの間、帝国陸軍の庇護の元、安全な国内の陸軍施設を転々としていた。それが本人が答辞を引き受けた対軍部&対文部省との裏取引条件ではなかったのか?その疑惑に対し、何故ゆえか本人は70年間も一貫して押し黙っていた事実。そのことが逆にその疑いの根拠ともなっている。
後年舞台は変わり、彼は、いろいろあって日本ウオーキング協会第3代会長を務めたのである。そして後年辞任するにあたり準備した第4代会長として2000年6月にバトンタッチしたのは、朝日新聞本社運動部長を勤めた田中康彦氏であった。 ここに朝日新聞が、今日まで事実上日本ウオーキング協会の宣伝部門を受け持つこととなったのである。当たり前のことであるがその経費は全額無料。おそらくその宣伝費を年間の広告費に換算するならば、数億円にものぼるであろう。その風潮は他の新聞社にも伝染していった。一方その時代すでに日本ウオーキング協会の会計は、メディアを無料で駆使したことが原因で、まったく金銭感覚がなくなり、ずさんで破廉恥な粉飾決算の兆候が現れていたと推察される。つまり、江橋慎四郎によるメディアの無料駆使という戦略が、結果として十数年にわたる規範の欠如を招き、粉飾決算で使途不明金を膨らませ、やりたい放題に金を配っていたのではないのか。
敗戦前、軍部はもとより、文部省・学徒出陣は切っても切れない関係であったが、メディアを利用することも彼らの知恵であることを、敗戦後の彼らの手口から再度見せ付けられたのだ。江橋慎四郎と朝日新聞本社運動部長を勤めた田中康彦氏、この両名は下記するURLで明らかなように、引退後もともに自ら暮らす地域ではない伊豆歩倶楽部・名誉会長として名前を連ね、朝日新聞社静岡総局の支援を受け、両名は楽しくも豊かな余生を送り、公私共に親密な関係を保っている。さすがに伊豆歩倶楽部の運営は、ホームページを始め会計報告にいたるまで理想的な形を追求した素晴らしいものであるが、朝日新聞本社運動部長を勤めた田中康彦名誉会長の死後、素晴らしい内容の伊豆歩倶楽部「会報」が突然ストップするなど、その活動は事実上停止、もしくは停滞したままである。
他方、江橋慎四郎は宮下充正(日本ウオーキング協会第7代会長・現顧問)に、専門の体育学、および運動生理学の分野で、なにかと多大な影響を与える師匠であるが、いくらエリートの帝国大学出身者といえども、学徒出陣ならびに敗戦直後、一転して文部省の官僚となり、(暴虐飽くなき敵米)宿敵であったアメリカに即留学した江橋慎四郎の行動。敗戦後における転進は、東条英機に対し答辞を述べた内容と真逆であり、それは学徒出陣式問題だけではなく、戦死した犠牲者にとっては第二の裏切り行為なのではないか?ここにも本人が70年間一貫して押し黙っていた原因があるのではないのか。つまり、江橋慎四郎は、戦前も、戦後も、裏取引をなす思考を有する人物なのではないか。今日、本人はそのいわく因縁を詳細に吐露することを、戦場に散った学徒出陣の犠牲者に代わって私ウエルネスウォーカーはここに要求するものである。
なぜならばあなた方は、なんだかんだ言ってもすべて税金・国費で活動してきたものであり、いまは天下りの身であっても同じ。しょせん高級官僚というものは、火鉢の灰まで国民の血税でまかなってきた公僕です。もってここに要求する権利を有する国民の一人として私はその答えを求める権利を有する。また、今日における日本ウオーキング協会の衰退、そのルーツが「日本ウォーキング協会第3代会長:江橋慎四郎の思考方法に鍵がある」のではないかと考察しているのであります。
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東条英機首相に対する江橋慎四郎の答辞(全文)
1943(昭和18)10月21日、明治神宮外苑競技場
「明治神宮外苑は学徒が多年武を練り、技を競い、皇国学徒の志気を発揚し来れる聖域なり。本日、この思い出多き地に於いて、近く入隊の栄を担い、戦線に赴くべき生等のため、かくも厳粛盛大なる壮行会を開催せられ、内閣総理大臣閣下、文部大臣閣下よりは、懇切なる御訓示忝くし、在学学徒代表より熱誠溢るる壮行の辞を恵与せられたるは、誠に無上の光栄にして、生等の面目、これに過ぐる事なく、衷心感激措く能はざるところなり。思うに大東亜戦争宣せられてより、是に二星霜、大御稜威の下、皇軍将士の善謀勇戦は、よく宿敵米英の勢力を東亜の天地より撃壤払拭し、その東亜侵略の拠点は悉く、我が手中に帰し、大東亜共栄圏の建設はこの確固として磐石の如き基礎の上に着々として進捗せり。
然れども、-英は今やその厖大なる物資と生産力とを擁し、あらゆる科学力を動員し、我に対して必死の反抗を試み、決戦相次ぐ戦局の様相は日を追って、熾烈の度を加え、事態益々重大なるものあり。時なるや、学徒出陣の勅令公布せらる。予ねて愛国の衷情を僅かに学園の内外に優渥なる趣旨を奉体して、近く勇躍軍務に従うを得るに至れるなり。また奮起せざらんや。
生等今や、見敵必殺の銃剣を提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて悉くこの光栄ある重任に捧げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を期せず、在学学徒諸兄、また遠からずして生等に続き出陣の上は、屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、以て大東亜戦争を完遂し、上宸襟を安んじ奉り、皇国を富岳の寿きに置かざるべからず。かくの如きは皇国学徒の本願とするところ、生等の断じて行する信条なり。
生等謹んで宣戦の大召を奉戴し、益々、必勝の信念に透徹し、愈々不撓不屈の闘魂を堅待して決戦場裡に突進し、誓って皇国の万一に報い奉り、必ず各位の御期待に背かざらんとす。決意の一端を開陳し、以て答辞となす」
http://www.youtube.com/watch?v=mzsU3SnUk8E
http://www.izuho-club.com/kaihou/kaihou_pdf/no48.pdf
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E5%BE%92%E5%87%BA%E9%99%A3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%A9%8B%E6%85%8E%E5%9B%9B%E9%83%8E
http://mainichi.jp/select/news/20131021k0000m040063000c.html
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